ドイツ料理の代名詞といえばソーセージ。
ドイツのソーセージは1500種類もあるそうで、種類の豊富さとその美味しさは世界ナンバーワン。
ヨーロッパ各国でも古くからソーセージは作られているのですが、なぜドイツがソーセージ王国となったのでしょうか?

そんな疑問があったのでちょっと歴史を紐解いてみました。

 

土地が痩せていたドイツの国土が生んだ豚を活用する食生活

ドイツの風景

自然豊かな森が多く、沢山の作物が育つイメージがあるドイツですが、実はその昔、ドイツの土地は作物があまり実らない痩せた土地が多かったのです。

雑草しか生えない土地を活用するには雑草を食べてくれる家畜を飼い食べ物を確保するのが有効であったと考えられます。
牛は成長が遅く、ミルクやチーズを得るための貴重な財産ですから、牛を肉として食べるわけにはいきません。

そこで数ヶ月で成長し、繁殖力の高い豚が生食として食べられるようになりました。

なぜ、保存食としてソーセージ、ハムが生まれたのか

ソーセージ

ドイツの冬は長く厳しいです。
冬になると家畜の餌となるドングリ等がなくなり、家畜は自ずと餓死してしまいます。
そうなる前に出来る限りの肉をさばいて長期保存をしないと貴重な肉がもったいないわけですね。

そこで様々な豚の部位がソーセージやハムに使われるようになり、多種多様な肉の燻製文化が発達したわけです。
ソーセージと言えば豚の肩肉を使ったフランクフルターソーセージ、小ぶりなウインナーソーセージが最もポピュラーです。
フランクフルターソーセージはその名の通り、フランクフルトが発祥のソーセージです。

ではウインナーソーセージは?

ちょっと面白いエピソードですが、フランクフルトのソーセージマイスターがオーストリアのウィーンで独自のソーセージを作ってみたら、ウィーンで大好評になったらしく、ウインナーソーセージと呼ばれるようになったのだとか・・・

その昔、ドイツの村には秋が深まると「屠殺祭」という行事が行われ、専門職人を雇ってソーセージを作っていたようです。
それほどドイツの食文化には欠かせないソーセージやハム。

ちなみに私たち日本人がイメージする細長いソーセージは主に中部ドイツ、南ドイツのソーセージです。
北ドイツではソーセージと言えばハムのようにスライスして食べるスライスソーセージが一般的。

豚肉調理に欠かせない香辛料の流通

香辛料

ドイツ料理でよく使われる香辛料、クローブ。
豚肉の臭みを消す香辛料としてソーセージやハムづくりには欠かせません。

しかしこれらの香辛料はヨーロッパ大陸に自生をしていたものではなく、初めて世界一周をしたマゼラン艦隊がスペインに持ち込みました。
その後、ヨーロッパに広がり、市場が拡大していったのです。

その香辛料の流通経路ですが、東方からの船はヴェニスに寄港、そこからはるばるスイスアルプスを越え、ドイツに集められます。
そしてドイツから様々なヨーロッパ諸国へと流通していたようです。
なぜ、このような流通経路なのかと言うと、中世後期、北ドイツはバルト海沿岸地域の貿易を独占していて、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟(ハンザ都市同盟)を形成していたからだそうです。

豚肉の加工や保存に必要な香辛料が手に入れやすいという歴史的背景も影響しているのではないでしょうか。

ソーセージが発達したのは実は戦争が多かったからという諸説も

ソーセージは兵士たちの携帯食料として非常に優れている食べ物であったとのこと。
体力を回復させ、空腹を満たし、短時間で食べられる便利な兵糧としてソーセージを持って戦争に行っていたのだとか。
兵士の士気を高めるためにも美味しいソーセージをと、職人が積極的に研究を重ねた結果、今日の美味しいソーセージに繋がったという人もいるみたいです。

その昔ジャガイモは豚の餌だったドイツ

ジャガイモ

ドイツといえばジャガイモもよく食べられる食材です。
ですが、18世紀ごろまで、ジャガイモは豚の餌とされてきました。
16世紀にドイツにジャガイモが入ってきて、人間には毒とされて、家畜用に使われていたとのこと。

ドイツでジャガイモを食べるようになったきっかけは18世紀のヨーロッパ食料飢饉の時です。
フリードリヒ2世 (プロイセン王)がドイツ国民にジャガイモを食べるように命令。
ジャガイモ栽培を広めていったのでした。

好んで食べられるようになったのは意外にも歴史的に日が浅いようですね。

まとめ

なぜ、ドイツでソーセージ・ハムといった食文化が発達したのか。
歴史を紐解くと様々な要因やきっかけで発展してきたのだと感じます。

それは自然環境であったり、食材の流通であったり、また戦争という事も。
今は季節を問わず、世界の様々な料理が食べられる世の中ですから、あまり食材や料理の由来にまで興味を持つ事も少なくなってきているのかも知れませんね。

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