宮城県気仙沼市にある、「男山本店」は、創業大正元年(1912年)の歴史ある酒蔵。美しい自然と豊富な食材に恵まれた気仙沼で、100年以上にわたり酒造りの歴史を刻みつづけていらっしゃいます。
気仙沼市魚町の「男山本店店舗」は、1930年、昭和初期に建てられた、木造3階建て洗い出し仕上げの外壁の建造物で、国登録有形文化財、気仙沼市指定有形文化財でもあります。
長きにわたり気仙沼・内湾エリアのランドマークとして親しまれていましたが、2011年の東日本大震災により被災し、3階部分を残して倒壊。
この歴史的建造物の再建を担当されたのが、神奈川県横浜市の一級建築士事務所:株式会社ユー・エス・シー様。代表の兼弘彰様にお話をうかがいました。
目次
男山本店店舗保存修理工事の経緯について教えてください。
【兼弘様】
震災後比較的早い段階で、ワールド・モニュメント財団(WMF)(※1)という世界的な財団から、気仙沼市の内湾エリア全体に対して寄付があり、応急的に曳家保存(ひきやほぞん)(※2)されて、残された3階部分は下記右の画像のような状態で、保存されていました。
男山本店店舗だけでなく、気仙沼で被災した7棟の歴史的建造物の復原工事を8年間かけて、弊社が担当させていただきました。震災復興では、まずは、基盤整備や住宅、気仙沼でいうと、特に漁港の復興などが、優先度が高いものでした。
文化財や歴史的建造物の復興というのは、その後ということになり、私たちが関わりはじめたのも震災から3年経過していました。私どもも、ここまで倒壊している建物を復原するというプロジェクトは今まで経験としてなかったので、かなりのチャレンジではありましたが、やろうということになりました。
失われた1階と2階部分を建物の痕跡調査、古い写真、ヒアリングなどを基に復原し、3階部分は、可能な限り残存した既存材を利用して復原しました。
男山本店店舗の復原改修工事のポイント、特に難しかった点などを教えてください。
【兼弘様】
3階部分だけが残っている状態で、この男山本店店舗の近代建築のファサードをいかに復原するかというのが大きなポイントであり、難しさもありました。
この男山本店店舗の建物というのは、気仙沼のランドマークだったんですね。震災前の写真がインターネット上にもたくさん残っていますし、スケッチや絵もたくさん残されています。
そのくらい親しまれていた建物でした。
この外観は、気仙沼からほど近い岩手県の室根でとれる、室根石といわれる花崗岩でできているんです。その室根石を砕いた砕石にモルタルを混ぜて洗い出しているものです。
これをなんとか実物を保存しなければならないということで、ここが一番の見せ場であり、大変なことでした。
まず、この赤い部分を切り取って解体作業をしました。
パーツごとに大ばらしをして、吊り上げて、工場に持って行きました。
そして、腐った木材を取り除いて、鉄骨を入れて中を補強します。
とにかくできる限り元に戻すということで前代未聞の大変な作業でした。
建築当初の材料はそのまま残すということにこだわりました。
辛い話なんですが、大変だからやめましょうという取捨選択をしていくとみんななくなってしまって使えるものが何も残らなくなってしまうんです。
ですから、残っているものは可能な限り全部使いましょうということでこだわりました。
例えば、窓と窓の間の壁はオリジナルなんですが、窓の上と下の部分は新しく塗っているんです。
ですから、オリジナルの部分と新しい部分を左官工事でどうなじませるかということを現場で苦労しながら試行錯誤しました。
もともとどうしてもオリジナルの部分と新しい部分では色が違ってしまうというのはご理解いただいた上でチャレンジしたのですが、できる限りなじませる努力をしました。
内装木部の塗装に関して、一部残存した元の木材もあれば、残っていない部分に関しては新しい木材も使用して復原工事をされる中で、仕上げの塗装に、オスモカラーをご採用いただきました。その辺りのお話をお聞かせください。
【兼弘様】
本案件に限らず、今までも、文化財の古色合わせ(古い木と新しい木との色合わせ)のために、オスモカラーを使わせていただいています。
例えば、男山本店店舗の3階部分の床はすべてなくなってしまっていたので、樹種だけ以前と同じ松を採用して新しい木材で復原しました。一方、枠材や天井はすべて、古材が残っていました。
ただ、実は、場所によって、つぎはぎをしたり、板を変えたりしているんです。
そこで、古色合わせが必要になってきます。新しい木材にももちろん塗装するのですが、古材の上にも塗装をして、なじませています。
男山本店では、ワンコートオンリーの1264ローズウッドを使用しましたが、その時によって、オスモカラーのウッドワックスを使うこともありますし、場合によって、色を混ぜて調色することもあります。
樹種によってだいぶ染み込みや発色が違うので、現場によって、いろいろと実験をして、それぞれの現場の古色に最も馴染むものを使うようにしています。
あまり、色を何色も使用するとうまくいかないので、基本的には一色に決めて、古色部分も含めて塗装するようにしています。
オスモカラーはいかにも塗装した感じがあまり出ず、経年した風合いが自然に出せるという印象です。主張しすぎない仕上がりがいいですね。
また、オスモカラーは伸びがいいので、古材の部分も新しい木材も含めて、伸ばしながら塗装ができて、結果として、全体になじみが良くなっているのかなと思っています。
オスモカラーは、仕上がりの色幅を許容できるというイメージですね。
男山本店では、外装木部にもオスモカラーウッドステインプロテクターの727ローズウッドを塗装しています。
湾に面しているので、風雨にさらされて、かなり厳しい環境ですから、どのくらいでどのように塗装が劣化してくるかというのは気にしています。
軒が出ているというのもあると思いますが、先日約2年経過して現地で見た時は、特に問題なかったです。
オスモカラーのウッドワックスも使用されることがあるというお話でしたが、古材との色合わせのために、よく使う色がありますか?
【兼弘様】
ワンコートオンリーのローズウッドかウッドワックスのチークをよく使います。
この古い引き戸は杉材で無塗装のまま経年変化したものです。
こちらはヒバ材なんですが、ウッドワックスのチークを塗装して色合わせしています。
この色見本板をいつも現場に持って行っていますが、ワンコートオンリーのローズウッドとウッドワックスのチークが塗装してあります。
この色見本板も塗装してからもう7~8年くらい経過しているもので、経年変化した感じも現場で想定しながら色を決められるように、敢えて経年した色見本を使っています。
濃い場合だと、ワンコートオンリーのローズウッド、薄い場合だと、ウッドワックスのチークを採用することが多いですね。
もちろん各現場ごとに実際に使われている樹種によって仕上がりも違ってきますので、この色見本はおおよその方向性を決めてベースとなる考え方を確認するために活用している感じですね。
男山本店の場合は、残存していたもともとの木材の色が濃いめの色だったので、ワンコートオンリーのローズウッドが合うということで、採用しました。
男山本店店舗で残存していたもともとの木材は、何か塗装がしてあったのでしょうか?
【兼弘様】
無塗装ですね。東北の地元の杉材の赤身を無塗装のまま使用していて、その経年変化によって、かなり濃い色になっていたということです。
歴史的建造物などでの古色(もともとの古い木材の色)というのは、つまり、無塗装の木の経年変化の色ということですよね?
【兼弘様】
はい。その場合が多いですね。
古色に新しい白木の木を継ぐと白黒になってしまうので、色合わせのための塗装が必要ということなんです。
古材と新しい木で補った補加材(修補材ともいう)が区別されていたほうがよいという考え方もあるので、塗装をせずにこのまま引き渡すこともあるのですが、一般的にはどうしても見た感じ違和感がでるので、私が関わる現場では、塗装して合わせることのほうが多いです。
いい建物には、こちらの地方のいい杉の赤身が使われていて、濃い赤茶に経年変化しているので、ワンコートオンリーのローズウッドが合うという感じですね。
男山本店店舗復原工事完了後、お客様や地域のみなさまからの感想やお声など教えてください。
まず、男山本店の菅原社長がとても喜んでくださいました。
また、地元のみなさまも喜んでくださって、竣工時には地元のテレビ局の取材が入ったりしたことも印象的でした。
思い入れのある昔からのランドマークがよみがえり歴史がつながったということで、感慨深く感じていただいていたように思います。
ユー・エス・シー様は、長年、文化財や歴史的建造物の復原改修工事を手掛けていらっしゃいますが、どのようなところに、やりがいや喜びを感じていらっしゃいますか?
【兼弘様】
私は、新築の建物の設計もやりますが、歴史的建造物を手掛ける時の気持ちとしては、今自分たちにできることをやって未来にバトンタッチするということが役割だなと思ってやっています。
例えば、私があきらめてしまったら、そこで失われてしまう、なくなってしまう建物がある。
私がここでなんとか踏みとどまって、技術的にも経済的にも何か方策を探るサポートができれば、もちろん多くの方のさまざまな力を結集しながらですが、なんとかできるということが経験的にわかっています。そのことがモチベーションになっていますね。
そうして、未来に繋ぐというのがやりがいです。
所有者さんもみなさん、建物が倒壊したり、激しく傷んでいると、あきらめてしまっていることが多いのですが、そこをなんとか少しずつ少しずつ解きほぐしていって、最後なんとかできた時は、所有者さんができあがった建物をうれしそうに見上げていらっしゃる姿が印象的ですね。
最後に・・・
兼弘様がおっしゃっていた、「あきらめてしまったらそこで失われてしまう、なくなってしまう建物があるが、なんとかあきらめずに踏みとどまって、未来にバトンタッチする」という言葉が心に響きました。
ランドマークであった建物がよみがえることで、地元の方が喜ばれるというお話が印象的で、建築はその街並みや風景の中にあるものなので、建物としてそこに存在している以上のいろいろな意味を持っていると改めて考える機会になりました。
※1ワールド・モニュメント財団:World Monument Fund。自然災害や戦災などで危機に瀕している世界中の地域遺産に対して寄付活動を行っている財団。
※2 曳家保存(ひきやほぞん):土地区画整理事業や歴史的建造物の維持保存のために、建築物を解体せずにそのままの姿で移動させること。
気仙沼 男山本店 様HPはこちら
https://www.kesennuma.co.jp/
株式会社 ユー・エス・シー 様HPはこちら
http://usc.yokohama/index.html