Column

ドイツワイン、その歴史は古く、様々な苦難があった。

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その昔ドイツワインのほとんどが辛口だった

世界のぶどう栽培地の中で、もっとも北限に位置するするドイツ。
「寒くてぶどうが育つの?」と疑問に思うかもしれませんが、緯度の高いドイツでは、夏の朝は早く明け、日没はかなり遅い時間になります。
こうした日照時間の長さが気温の低い北国でありながら、美味しいワインを造る好条件となっているのですね。
しかも、ひとつひとつのワインが生産地やぶどう品種によってはっきりとした個性を持っており、ドイツほどバラエティに富んだワインを造る国はないともいわれています。
近年、ドイツワインのタイプは約6割が辛口で、残る4割が甘口。
「ドイツワインといえば甘口」という印象を持つ人も多いようですが、その昔、ドイツワインのほとんどが辛口だったと伝えられています。
そんなドイツワインの歴史を少しひも解いてみましょうか。

古代ローマとともに、繁栄と衰退を繰り返すドイツのワイン造り。

ドイツワインの歴史は、古代ローマまでさかのぼります。
古代ローマ人は北方へと進出し続け、およそ紀元前100年ごろにドイツに入りました。
やがて、ぶどうの栽培が始まりますが、当時、ライン川やモーゼル川一帯には野生のぶどうが育っていたそうです。
特に今では改良されてリースリング種に発展したといわれる【ヴィティス・シルヴェストリス】というぶどうが多く自生していて、それらを原料としてワイン造りが始められたそう。
自生のぶどうは房は小さく、青い実は果汁も少なく貧相だったそうな。
 
 

ドイツ地図

1~2世紀ごろには、ローマ軍がぶどうの苗木を持ち込んで、ドイツ南部トリーア近郊の平坦な土地に植えてワイン造りを始めました。その時の代表的な品種は、白ぶどうの【エルプリング】だといわれています。
 
 

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2世紀に入るとノイマーゲンからピースポート付近一帯のモーゼル川沿いにぶどう畑が造られました。
ノイマーゲンからは、当時ワインを運んでいた舟の彫刻などが発掘されたそうです。

そして3世紀、ワイン皇帝とも呼ばれるローマ皇帝プロブスによってドイツワインは古代の全盛期を迎えることになります。
モーゼル川からライン川流域一帯にぶどう畑が広がり、人々は豊富なぶどうを原料にしたワイン造りに精を出したのです。

あのゲルマン民族の大移動でドイツワインが消滅の危機に?!

4世紀から6世紀にかけて約200年におよぶゲルマン民族大移動の時代に突入。
ゲルマン人が耕地や食糧を求めて移動した結果、ぶどうの樹は無残にも抜き取られ、代わりに他の作物が栽培されるというワイン造りにとっては最悪の事態に陥ってしまいます。
ゲルマン民族の大移動によって西ローマ帝国も滅亡し、ワイン史上では暗黒と言われる中世を迎えることになるのです。

再びドイツワインを蘇らしたカール大帝。

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衰退しきったワイン造りが息を吹きかえしたのは、8世紀のこと。
西ヨーロッパを征服統一したフランク王国のカール大帝が、荒廃したぶどう畑の立て直しに着手。
 
 

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写真はライン川沿いに広がるぶどう畑

カール大帝はラインガウにもぶどうの樹を植えることを指示。
ドイツワイン造りの発展と品質の向上に力を注いだのです。

ラインガウとはライン川がマインツ付近でマイン川と合流する北側エリア。
南北に流れるライン川ですがラインガウ付近では東西へ直角に曲がるため南面の傾斜が取りやすいのです。

30年戦争で、またもや窮地に追い込まれたドイツワイン

長い歴史のなかで、またもやワイン造りが窮地に追いやられるきっかけになったのは1618年に始まった30年戦争でした。
ドイツ内のキリスト教新旧両派の対立がきっかけとなったこの戦争は、ドイツ全土を荒廃させてしまいました。
さらに病害虫も発生したため、ぶどう畑を育てるのもやむを得ずストップすることに。

しかし、この戦争によって1701年にブランデンブルグ選定侯は現在のドイツの原型になるプロイセン王国を建国することに成功したという説があります。
世界的に有名な「ヨハニスベルク城のリースリング」の城と醸造所が建設されたのが、なんとこの時代!
ドイツを代表する醸造技術の一つ「遅摘み法」(シュペートレーゼ)はこの醸造所で1775年に偶然、発見されたといわれています。
また、1783年にはドイツだけの極甘口ワイン「アウスレーゼ」を開発して話題を集めました。
まさにこの頃、ドイツラインガウワインが発展したと言えるでしょう。

ぶどうの天敵「フィロキセラ」というアブラムシの猛威

その後は順調に進んでいたワイン造りですが、1870年にはぶどうの葉を侵す伝染病が広がってしまいます。
1863年、アメリカ大陸からヨーロッパ大陸に侵入したワインの天敵「フィロキセラ」がフランスのぶどう畑を侵し、その勢いは弱まることなく1874年にはボン近郊でフィロキセラに侵されたぶどうの木が発見されます。
伝染病と「フィロキセラ」は1895年にはドイツ全土のぶどう畑にも大打撃を与えました。
そのためにドイツのぶどう畑はわずか5万ヘクタールにまで激減、10万ヘクタール回復させるまでには1914年まで約20年もの歳月を要することになったのです。

厳しい環境に負けず、世界的にも高品質なワインを生産。

ドイツワインの歴史を駆け足で振り返ってみると、決して順風満帆ではなかったことが伺えます。
しかも北国にあって、人々はどのようにして高品質なワインを生産してきたのでしょう?
それは川のすぐ近くにぶどう畑を作ることだといわれています。
川の水がその一帯の気候をおだやかにして、ぶどう栽培を助けているのだそう。
つまり太陽熱が川面に反射して畑に照り返しながら、昼も夜も安定した温度を保つ役目を果たしているという訳です。
 自然を上手に利用して、寒さに負けずにぶどうを栽培し続けてきたドイツのワイン造り。
それはまさに、現代においても自然を大切に受け継ぐドイツの人々の気質を物語っているかのようですね。
さて、今夜は辛口のドイツワインを味わいながら、古のドイツに思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
 
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写真はバーデン=ヴュルテンベルク州ベックシュタインのぶどう畑
 
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http://www.beckstein.jp/
 
 
 

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